「クレヨンしんちゃん」を見せると下流予備軍になるよ?

クレヨンしんちゃんを子供に見せたくないのはなぜ?」という趣旨のはてながあった。
http://q.hatena.ne.jp/1220463145

質問された方は単にお下劣だから、とか言葉遣いが汚いから、という以上の理由を求めているようだけど、理由としてはそれでOKだと思う。後はロジックの問題。そこを丁寧に書くとこんな感じ?


しんちゃんには、次のような描写が多く見られる。

● 大人を軽視する
● 子供の万能性を賛美する
● 子供の方が大人よりも賢い上に、知識も豊富

これは大人にとっては真実の一面ではあるが、子供がこれを真似てこのような態度を当然と思うようになると、大人から学ぶことを軽視するようになる危険が生じる。

内田樹流に言えば、子供は社会で生きていくために様々なことを学ばなければならないが、彼らはそれらを学ぶ前の時点ではそれら学ばなければならないことの有用性や必然性に対する理解を欠いているため、彼らの教育においては、ある程度まではまず盲目的に大人に従うということを躾けることが肝要になる。

しかし、しんちゃんは冒頭のような、「盲目的に大人に従うこと」の危険性をいたずらに強調する内容を多く含むため、しんちゃんを見た子供たちは彼らがまず身につけなくてはならない躾とは正反対のメッセージを読み取ってしまう可能性が高い。

よって、ようやく学びの入口に立とうかというような低年齢の子供にとって、しんちゃんは教育的には非常にリスクが高い番組なのである。

そして、同様のことはしんちゃんだけに限らない。一般にお下劣であったり、汚い言葉遣いが多く出てくるコンテンツというのは、冒頭のような大人軽視の要素を持つものが多いため、同様のロジックで教育上よろしくないことが多い。

もちろん、それぞれのコンテンツを個別に精査していけば例外もあるだろうが、いちいちそんなことはやっていられないし、また教育上、有用なコンテンツは他にたくさんあるのだから、一般的に下劣なコンテンツは初期の教育から排除してしまうのが正解、ということになる。

健全な社会においては、大人を疑うことは、彼らがもっと多くを学んで自分でもある程度の餌を拾えるようになってから教えても遅くないと思う。口汚く言えば、ガキをつけあがらせるとろくなコトはないということだ。



・・・と、ここまで書いておいてなんだが、とはいえ、このような教育論は極めてヨーロッパ的な考え方で、有史以来全国民総ロリコンの日本においてはなじまないのかもしれない、という気もしないでもない。

そもそもアジア人というのは、外見的にも大人と子供の差異が極めて小さく、30代の婦女子がセーラー服を着てみたりとか、大人と間違えてうっかり未成年に手を出してしまったりだとか、そんなことが日常茶飯事に起こっているわけだ。

特にそれはテレビにおいて顕著で、この国のテレビ文化は発展を極めた挙げ句、大人が見るものを子供が見て、子供が見るものを大人が見る、という極めてフラットな境地に行き着き、もう長らくそこから変化せず停滞している。大人も子供もみんな子供であるような社会なのだから、「大人にならない」という戦略には、もしかしたらこの国ローカルな有用性が認められるのかもしれない。

・・・わけねーよな。



<追記>

低俗な番組でも、親が一緒に見ながら注意していけば良いじゃん、という意見も見かけた。が、それはなかなか難易度の高い教育技術だ。子育て初心者がわざわざリスクを冒して手を出す意味はないだろう。ってゆーか、いちいち注意が必要なコンテンツなら最初から見せなきゃいーじゃん、という気がはげしくする。